産婦人科医の家系に生まれ育ちました。
私は男4人兄弟の3男(一卵性双生児の弟)で、父・叔父・祖父も産婦人科医の一家に生まれました。祖父は三原市で産婦人科医院を開業していました。モノクロの写真は約70年前のものです。
父の武は県立広島病院で、叔父の清は福山市民病院で長年広島県の産婦人科医療に携わってきました。

↑私は左。いや真ん中だったかも…

↑左から叔父・祖母・父・祖父

院長の占部智(うらべさとし)です。
2023年3月20日に広島県東広島市で新規開業しました。
赤ちゃんに会えるという幸せに満ちているお気持ちの反面、ご不安を抱える方も多いかと思います。安心してご来院いただくためにも、開業に至った理由にもなる、私:占部智(うらべさとしの背景をお伝えしたいと思います。
私は男4人兄弟の3男(一卵性双生児の弟)で、父・叔父・祖父も産婦人科医の一家に生まれました。祖父は三原市で産婦人科医院を開業していました。モノクロの写真は約70年前のものです。
父の武は県立広島病院で、叔父の清は福山市民病院で長年広島県の産婦人科医療に携わってきました。

↑私は左。いや真ん中だったかも…

↑左から叔父・祖母・父・祖父

高校生の時、一卵性双生児の兄が病気になりました。骨髄移植で治る可能性のある病気だったので、自分が一卵性双生児として生まれてきたことに運命を感じました。この経験を通じて、病に苦しむ人に寄り添う医師という職業を志しました。
大学時代は同じ志を持つ多くの仲間に出会い、気の合う友人にも恵まれました。富士山や槍ヶ岳、尾瀬至仏山などに登ったのはいい思い出です。
産婦人科の道に進むことに決めたのは家族の影響も大きくありますが、医学を学ぶ中で、女性の人生の変化に寄り添うことができ、何より出産という喜びに満ちた場面にも立ち会えることに魅力を感じました。
産婦人科医として働き始める頃、父が産婦人科部長として県立広島病院に赴任しており、同じ職場で働くことになりました。産婦人科医としての父が理想の医師像となり、2日に1回の当直をしながら腕を磨くことができました。
結婚して父親にもなりました。妻と育児する中でも多くの学びがありました。
広島大学では臨床と研究に多くの時間を費やし、同僚に支えられながら産科医長として治療にあたりました。死の淵に立つ妊婦さんを救うことができた時は皆で喜びを分かち合いました。多くの出会いで産科医として成長することができました。

↑今では大きくなりました!

↑広島大学病院時代

↑長女誕生
東広島医療センターに赴任した年に新型コロナウイルスが感染拡大し、お産を取り巻く環境は大きく変わってしまいました。妊娠健診や立ち合い出産、産後のお見舞いや育児など、人生の大事な瞬間にご家族や周りの方が寄り添うことができなくなりました。これまで当たり前だったことが失われてしまったことに深い悲しみを感じ、コロナ前の出産を取り戻したいと考えるようになりました。
また、私が産婦人科医になってからも、少子化は留まることを知らず、産科医の減少も進み地方の周産期医療は危機的状況です。
感染症対策を施して安全に出産ができる施設を作り、自分の経験や技術を地域の産科医療に生かしたいと考え、産科分娩施設の開業を決意しました。
巨額の借り入れをしてリスクのある分娩を新規開業で取り組むことに「無謀すぎる、気でも違ったのか」とも言われたりしました。しかしながら、私の開業への思いが揺らぐことはありませんでした。
東広島市は学園都市でもあり、人口増加率と出生率が高い全国でも珍しい地方都市で、産科医にとって広島県内で最もやりがいのある場所だと思っています。


多くの方の励ましと応援もあり、祖父の医院の閉院から50年の節目に、占部産婦人科を再興するに至りました。

